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能登國羽咋唐戸山相撲

相撲雜件

力士碑

鳴瀧源藏の碑
大和郡山の北柳生にある鳴瀧源藏の碑

東川吉嗣


○唐戸山の相撲場の周邊にはおびただしい數の力士の石碑が建ち並んでゐる。また、唐戸山相撲見物を機會に能登旅行をしてゐると、あちこちに力士碑が見られる。それはバスの窗から見た物もあれば、列車の窗から見たものもある。輪島の力士碑のやうに、ぢかに見て、冩眞に納めた物もある。それら、相撲の力士を記念する石の碑を、追ひ追ひ、ここに紹介する。また、能登國以外の物も紹介する。その中には、筆者の先祖の物もある。

  力士碑探訪 その壹 - 越中砺波と射水の力士碑
  力士碑探訪 その貳 - 伊勢國の力士碑
  力士碑探訪 その參 - 武藏國高田南藏院の力士碑群


唐戸山および羽咋の力士碑
力士碑の名稱
または假稱
冩眞
または引き紐
撮影年月日所在地碑文その他
相撲功勞者 中川由二中川由二平成十六年九月二十五日唐戸山相撲場表 - 加越能三州相撲道/功労者/中川由二之碑/日本相撲協會理事長/元横綱双葉山時津風定次書
右側面 - 昭和三十三年四月建之
左側面 - 世話方/羽咋郡南部相撲協會/羽咋町石匠杉本
碑の高さ 五尺
臺座石組み高さ 五尺五寸
音个崎秀藏音个崎平成十六年九月二十五日唐戸山相撲場表 - 音个崎/秀藏
臺座の銘など、讀めず
碑の高さ 五尺
臺座石組み高さ 四尺六寸
谷響秀作谷響平成十六年九月二十五日唐戸山相撲場表 - □□□年八月/谷響秀作/横綱常乃花出羽海書
臺座 - □□□□の/名は谷響/錦かざりし/唐戸山
碑の高さ 六尺六寸
臺座石組み高さ 五尺六寸
立錦重造立錦平成十六年九月二十五日唐戸山相撲場表 - 立錦重造/横綱双葉山時津風定次書
臺座の銘板 - 略歴/明治三十六年三月/富來町荒屋ニ生ル/賛助/羽咋市長本吉二六/前市長西橋義一/羽咋市中川由二/志賀町酒谷政一/富来町山本善治/東京都橋野健治/羽咋市笹川勝人
志賀町能登花外吉/〃 大ノ海作一/氷見市大浜文松/〃 氷見个浜喜市/穴水町磯嵐清繁/富来町草ノ森忠夫/〃 □田川久次/〃 高田川久米雄/〃 浜破一夫/發起人/富来町松尾山久作/宮錦貢/前个汐静雄/昭和四十七年十二月建之
碑の高さ 六尺
臺座石組み高さ 五尺三寸
一ツ石賢二一ツ石平成十六年九月二十五日唐戸山相撲場表 - 一ツ石賢二/大森玉木書碑の高さ 五尺六寸
臺座石組み高さ 約四尺
能登の海惣一能登の海平成十六年九月二十五日唐戸山相撲場表 - 能登の海惣一/出羽海喜偉/昭和四十三年九月建之/杉野屋後援會
裏 - 羽咋市□井町/西山石材店
銘板の表 - 略歴/能登の海本名高松惣一/能登國志雄町杉野屋に/出生大正十二年十六才/にして東京大相撲出羽/の海部屋え入門修行中/幕下にて優勝幕内力士/を數年間勤め三十一才/の時引退し其の後早稲/田大學 立命館 同志/社拓殖大学相撲教師/を勤め勤務中戰爭の爲/二十年歸郷二十二年九/月四十一才の時唐戸山/神事相撲に出場十六人/を勝抜き優勝大関を獲/得 後羽咋唐戸山相撲/協會より功労者表彰等/を受彰地方相撲界の取/締檢査役を勤め今日に/至る
銘板の裏 - 世話方/本吉□三吉/□戸外次郎/金曾勇藏/杉本外雄/鷹野徳次/安達勇藏/観音幸一/高松栄藏/高松伊二/高松惣八/高下儀右衞門/辻本外清/山口勇清
道路から相撲場へ這入つた左手に獨立してゐる。
力士碑群力士碑

昭和五十九年に撮影したもの。

平成十六年九月二十五日唐戸山相撲場向かひの道際  相撲場の道路向かひの道際に立つ。
八幡川幸太郎八幡川平成十六年九月二十五日唐戸山相撲場向かひの道際表 - 昭和廿八年八月之建/八幡川幸太郎/三造/横綱□□□書
臺座 - 世話人/羽咋町青年團/谷響周作
碑の高さ 四尺四寸
國響政次郎國響平成十六年九月二十五日唐戸山相撲場向かひの道際表 - 國響政次郎/二十三代/木村庄之助書
右側面 - 昭和三十五年八月之建/世話人/中川庄二/一家政一郎/谷ツ音秀作/石工/杉本
碑の高さ 五尺六寸
見込山見込山平成十六年九月二十五日唐戸山相撲場向かひの道際表 - 南無阿弥陀佛/若惣中/見込山/□□□碑の高さ 四尺
龍濱龍濱平成十六年九月二十五日唐戸山相撲場向かひの道際表 - 龍濱力碑の高さ 四尺八寸
唐戸山唐戸山平成十六年九月二十五日唐戸山相撲場向かひの道際表 - 明治四年/唐戸山五年/未八月・世□人/若連中碑の高さ 五尺
『唐戸山相撲史』によると、「五平」とあるので、筆者の誤記か。親方衆の一人とのこと。本名「唐戸武左エ門」で、代々「五平さ」と通稱された家とのこと。
羽鳥川羽鳥川平成十六年九月二十五日唐戸山相撲場向かひの道際表 - 嘉永三年戊八月六日/羽鳥川 久松碑の高さ 四尺八寸
『唐戸山相撲史』によると、羽鳥川久松は、羽咋市中央町の福島陶器商の祖先で、嘉永三年戊八月六日は命日らしい。
旭山旭山平成十六年九月二十五日唐戸山相撲場向かひの道際表 - 明治三十二年九月/旭山 幸太郎/世話人 □連中碑の高さ 五尺七寸
羽咋川助松羽咋川平成十六年九月二十五日唐戸山相撲場向かひの道際表 - 明治三十二年九月/羽咋川 助松/世話人 若連中/石工杉ノヤ/伴重太郎碑の高さ 五尺四寸
羽鳥川源五郎羽鳥川源五郎平成十六年九月二十五日唐戸山相撲場向かひの道際表 - 明治三十二年九月/羽鳥川/源五郎/世話人若連中碑の高さ 四尺六寸
能登ツ□能登ツ□平成十六年九月二十五日唐戸山相撲場向かひの道際表 - 明治□十九年 /能登ツ□/平吉/午九月/世話方若連中/石工新宮/中本□之□碑の高さ 四尺一寸
砂山七太夫平成十六年撮影

昭和五十九年撮影のもの

平成十六年九月二十五日

昭和五十九年

唐戸山相撲場向かひの道際表 - 大正七年十一月建之/羽咋町壯年團同盟會/砂山七太夫墓/□□□碑の高さ 六尺三寸
『唐戸山相撲史』によると、羽咋市本町の砂山家で、代々「七太夫」を名乘り、大正六年二月、没とのこと。
長者川三松平成十六年撮影

昭和五十九年撮影のもの

平成十六年九月二十五日

昭和五十九年

唐戸山相撲場向かひの道際表 - 長者川 三松/羽咋町/壯年團同盟會
左側面 - 昭和三年十月十日/建之
碑の高さ 五尺
關割和平平成十六年撮影

昭和五十九年撮影のもの

平成十六年九月二十五日

昭和五十九年

唐戸山相撲場向かひの道際表 - 關割和平/世話方羽咋町壯年團同盟會
右側面 - 大正十四年八月建之
碑の高さ 四尺五寸
大錦なし  荒山峠から金澤へ向かふ途中、七尾街道の飯山付近の左道際表 - 大錦
他は不明
  
力士碑の名稱
または假稱
冩眞
または引き紐
撮影年月日所在地碑文その他

輪島の力士碑
力士碑の名稱
または假稱
冩眞
または引き紐
撮影年月日所在地碑文その他
九榮吉九榮吉の碑平成四年九月二十五日輪島市街西部表 - 九榮吉「九」は「イチヂク」と讀むと教はる。この石碑については平成四年--輪島見物(平成二十八年二月二十八日現在、休止中)に述べた。
大本大本平成十五年九月二十三日輪島市河井町の山麓表 - 大本□七
□は不詳
臺座に門弟と見られる六名の力士の名がある。これについて、「平成十五年--輪島」に述べた。
墓地の力士碑群平成十五年九月二十三日輪島市街東部墓地  この石碑群については平成四年--輪島見物(平成二十八年二月二十八日現在、休止中)に述べた。
八十嶋潟八十嶋潟平成十五年九月二十三日輪島市街東部墓地表 - 八十嶋潟 俗名清助「清」は「請」かも
二十山二十山平成十五年九月二十三日輪島市街東部墓地表 - 二十王之塚碑文の「王」は不詳。「ハタチヤマ」と聽いた記憶あり。
大和川大和川平成十五年九月二十三日輪島市街東部墓地表 - 大和川  
藤井藤井平成十五年九月二十三日輪島市街東部墓地表 - 藤井之碑  
力士碑の名稱
または假稱
冩眞
または引き紐
撮影年月日所在地碑文その他
  冩眞は擴大して見ることができます。
羽咋、輪島以外の能登の力士碑
力士碑の名稱
または假稱
冩眞
または引き紐
撮影年月日所在地碑文その他
濱之戸濱之戸平成十四年九月二十七日禄剛崎から木ノ浦への道筋表 - 濱之戸 以下不詳
横に「力士山田助次郎之碑」と彫りたる小さい石柱あり。
  
阿武乃松緑之助    平成十四年九月二十七日、のと鐵道で珠洲へ向かひ、珠洲のすぐ手前の車窓から見えた阿武乃松緑之助。ほか不詳。
  
  
阿武乃松    平成十四年九月二十七日、珠洲から禄剛崎へ行くバスで、正院のバス停近くで車窓から見えた阿武乃松。ほか不詳。
  
  
力士碑の名稱
または假稱
冩眞
または引き紐
撮影年月日所在地碑文その他
  冩眞は擴大して見ることができます。
(お断り  一部、冩眞が紛失、缺損してゐるものがあります。)
能登國以外の力士碑
力士碑の名稱
または假稱
冩眞
または引き紐
撮影年月日所在地碑文その他
常陸山谷右衞門常陸山谷右衞門像の正面平成二十三年十一月九日滋賀縣長濱市驛前慶雲館庭園無し 説明板背面 人の背と比較
松勇喜代治松勇喜代治平成十九年正月三重縣津市半田千九百三十六番地表 - 松勇喜代治碑
裏 - 日付と力士名多數
力士碑探訪 その貳 - 伊勢國の力士碑
枩風菊太郎枩風菊太郎平成十五年富山県礪波市神島バス停前表 - 九年十月建之 南無阿弥陀佛 枩風菊太郎
裏 - 醜名多數
東川姓東川地名探訪記  力士碑探訪 - 越中砺波と射水の力士碑この石碑の隣の石碑には「大正九年八月建之 南無阿弥陀佛 雲達嘉一郎」とあり、やはり、力士の醜名かと思はれる。
枩風菊太郎の碑の裏
九紋龍九紋龍平成十七年富山県高岡市戸出行兼龍玄寺の門前表 - 文化四年 南無阿弥陀佛 吉右□倅 九文龍九紋龍の石碑と地蔵堂  力士碑探訪 - 越中砺波と射水の力士碑
大勝安太郎大勝の石碑平成十七年富山県高岡市十二町島入口表 - 南無阿弥陀佛 大勝安太郎十二町島の入口の石碑  力士碑探訪 - 越中砺波と射水の力士碑
浦戸石榮造浦戸石の石碑平成十七年富山県高岡市十二町島入口表 - 大正十四年九月□□ 南無阿弥陀佛 浦戸石榮造
臺座 - 世話 村一同 石工 前田
十二町島の入口の石碑  力士碑探訪 - 越中砺波と射水の力士碑
夢乃浦夢乃浦の石碑平成十七年富山県射水市水戸田の丁字路表 - 力士 夢乃浦乃碑
臺座 - 本名菅野吉太郎 明治四十五年一月一日水□□□ 身長五尺九寸四分 躰重二十五貫 昭和三十一年九月五日引退
裏面 - 世話人の名、石工の名
夢乃浦の石碑と石佛  力士碑探訪 - 越中砺波と射水の力士碑
水戸嵐水戸嵐の石碑平成十七年富山県射水市下条大日表 - □□□□□ 南無阿弥陀佛 水戸嵐□□□花立てに「肥田家」とあり。  力士碑探訪 - 越中砺波と射水の力士碑
鳴瀧源藏鳴瀧源藏の碑平成六年八月十六日奈良縣大和郡山市北柳生表 - 鳴瀧源藏
側面 - 明治十丑年十一月吉日
筆者から數えて、五代前の祖先東川源藏が、相撲引退を記念して建てて貰ふた。
三笠山平治郎三笠山平治郎の碑平成六年六月二十二日調べ三重縣名張市元町宗泰寺表 - 三笠山 世話人中
右側面 - 天保八丁酉年 九月廿四日
左側面 - 平治良 三芳□□
三笠山平治郎の碑
宗泰寺の過去帳に「天保八年九月廿四日 淨蓮信士 天野屋平治良 事 年八十三才」とある。
三笠山武兵三笠山武兵の碑  三重縣名張市元町宗泰寺表 - 三笠山昭和三十年代に宗泰寺の境内にありしが、平成六年六月現在、行方不明。三笠山武兵こと、寺崎常治は、筆者から數えて、今一つ別の五代前の祖先。碑の形は筆者の記憶による。
出羽海谷右衞門出羽海谷右衞門墓平成十五年十一月十六日東京都臺東區谷中墓地
甲13號2側
表 - 出羽海谷右衞門墓裏に細かい文字で説明あり。大正十二年一月建立。

平成二十二年十二月二十一日撮影の出羽海谷右衞門墓

秀の山與四郎秀の山與四郎墓平成二十二年十二月二十一日東京都臺東區谷中墓地
甲13號1側
秀の山與四郎墓

表 - 一毛家之墓

裏昭和二年九月十五日逝去 小常陸事 秀の山與四郎

出羽海谷右衞門の墓の隣

富岡八幡宮の大關碑富岡八幡宮の大關碑平成十七年五月五日東京都江東區富岡
神社境内右手前
表 - 大關力士碑まわりに幾つも碑あり。
富岡八幡宮の「大關力士碑」(平成十七年五月十日、接續確認。)
富岡八幡宮の横綱碑富岡八幡宮の横綱碑平成十七年五月五日東京都江東區富岡
神社本殿裏右
表 - 横綱關力士碑まわりに幾つも碑あり。
富岡八幡宮の「相撲と富岡八幡宮」(平成十七年五月十日、接續確認。)
力士碑の名稱
または假稱
冩眞
または引き紐
撮影年月日所在地碑文その他

  冩眞は擴大して見ることができます。


力石と力士碑

  あ  く  武  明  と  普  石  の   ┐ 山  で  現     け  て  の  た  は  面  掴  現  の  刻  の   ┐ あ     
  つ  す  兵  で  教  通  だ  三  こ └    ` 在     加   ` が  人  明  白  み  在  無  ん  や  何  る     
  た  ん  の  あ  へ  の  か  笠  れ  と  丸  の  筆  工  現   ` の  ら  く  易  の  い  だ   ` 貫   ゜ 日  
   ゜ だ  石  る  ら  人  ら  山  は  彫  い  三  者  せ  在  力  名  か  な  い  重   ` も  神  目  主  本  
  今  黄  碑  が  れ  の   ` 武   ` り  自  重  は  ず  の  士  を  で  い  物  量  適  の  に └   に  全  
  お  色  は   ` た  墓  自  兵  お  込  然  縣   ` に  力  碑  そ  あ  と  で  擧  度  が  さ  な   ` 國  
  も  い   ` 自   ゜ 石  然  の  ば  ん  石  名  幼  活  士  の  の  る  い  は  げ  に  あ  さ  ど  神  の  
  ふ   ` 少  分  こ  は  石  墓  あ  だ  に  張  い  か  碑  始  石   ゜ ふ   ` 競  大  る  げ  と  社  あ  
  に  一  し  の  の  自  で  石  ち  石  細  市  頃  し  も  ま  に  こ  意  人  技  き   ゜ る  そ  の  ち  
   ` 抱  赤  記  石  然  出  で  ゃ  を  目  元   ` た  自  り  刻  の  識  の  の  い  い  意  の  境  こ  
  力  へ  い  憶  碑  石  來   ` ん  前  の  町  昭  も  然  で  ん  力  が  作  重  自  づ  味  重  内  ち  
  石  程  色  に  は  で  て  相  の  に  文  に  和  の  石  あ  で  石  働  爲  石  然  れ  で  さ  な  に  
  と  の   ` あ  現  造  ゐ  撲  お   ` 字  あ  三  が  を  ら  記  を  い  が  の  石  も   ┐ を  ど   ┐ 
  し  丸  あ  る  在  ら  る  取  ぢ  父  で  る  十  多  出  う  念  持  て  加  や  で  手  奉  刻  に  力  
  て  い  る  三  行  な  け  り  い  か   ┐ 宗  年  い  來   ゜ に  ち  ゐ  は  う  あ  掛  納  ん  あ  石  
  丁  石  い  笠  方  い  れ  の  さ  ら  三  泰  こ   ゜ る  從  し  擧  る  り  に  る  か └   だ  り └   
  度  で  は  山  不 └   ど  墓  ん     笠  寺  ろ     だ  つ  た  げ  の   `  `  ゜ り  と  も   ` が  
                     `                 `                                           

  相  ち  墓  者  の  を     石  や  二  て  榮  心  る  碑  て  は  れ  そ  ん  の  持     に  を  で  く  
  撲  を  地  の  樣  更     を  う  階  は  吉  さ  人  は  の  か  ば  の  で  大  ち     も  そ  見  ら  
  を  し  に  祖  式  に  力  連  に  建  ゐ └   せ  を   ` 用  か   ` や  記  き  上  力  み  の  た  ひ  
  引  て  建  先  を  積  士  想  巨  て  る  の  る  壓  大  途  ら  搬  う  念  さ  げ  石  え  ま   ┐ の  
  退  ゐ  て  の  強  極  碑  す  大  の  も  碑  も  倒  き  を  な  送  な  碑  と  る  は  る  ま  大  姿  
  し  る  ら  一  く  的  を  る  な  家  の  は  の  す  く  強  い  に  石  と  重  こ   `  ゜ 墓  和  か  
  た   ゜ れ  人  意  に  墓  こ  物  と  の  高  と  る  て  く   ゜ も  を  し  さ  と  力     石  川  た  
  時  こ   `  ` 識  考  地  と  に  並   ` い  な   `  ` 意  と   ` 探  て  な  が  自     と └   ち  
  の  の  一   ┐ す  へ  に  は  な  ぶ  す  臺  る  あ  手  識  こ  設  し  固  の  出  慢     し  な  で  
  記  碑  般  鳴  る  る  建  出  る  高  ぐ  座   ゜ る  數  し  ろ  置  出  定  で  來  の     て  ど  あ  
  念  は  人  瀧  こ  と  て  來  と  さ  隣  の  輪  い  の  始  が  に  す  せ   ` る  男     建  の  る  
  に   ` の  源  と   ` る  な   ` で  に  上  島  は  加  め   ` も  手  う  そ  か  一     て  石   ゜ 
  建  鳴  墓  藏  に  墓  と  い  も  あ  建  に  で  見  は  る  記  特  間  と  こ  出  人     た  碑  輪  
  て  瀧  石 └   な  石  い   ゜ は  る  つ  建  見  る  つ  と  念  別  さ  す  へ  來  で     か  は  島  
  て  源  の  の  る  と  ふ     や   ゜ て  て  た  人  た   ` 碑  の  へ  る  名  な  や     の   ` の  
  貰  藏  か  碑   ゜ し  こ      ` こ  ゐ  ら   ┐ を   ` 力  と  手  か  と  を  い  つ     や  力  墓  
  ふ  が  た  は  筆  て  と     力  の  る  れ  九  感  見  士  し  間  け   ` 刻  か  と     う  石  地  
            `                                                                      

                                                                 廿  て  一  る  る  た  
                                                                 七  建  月   ゜ や  と  
                                                                 日  つ  吉  な  う  傳  
                                                                    細  日  ほ  に  へ  
                                                                 東  い └    `  ` ら  
                                                                 川  石  と  こ  生  れ  
                                                                 源  柱  あ  の  前  る  
                                                                 藏  に  り  碑  に  の  
                                                                └   は   ` に  建  で  
                                                                 と   ┐ こ  は  て   ` 
                                                                 あ  明  の   ┐ ら  墓  
                                                                 る  治  碑  明  れ  石  
                                                                  ゜ 廿  と  治  た  と  
                                                                     五  少  十  も  し  
                                                                    年  し  丑  の  て  
                                                                    二  離  年  で  使  
                                                                    月  れ  十  あ  へ  
                                                                                   


  「能登國唐戸山相撲」の玄關ページへ   「力石」
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この網上葉の經過
○平成二十八年二月二十八日、閉鎖中のページを指摘。一部の冩眞の缺損をお断り。電子飛脚の宛先を訂正。
○平成二十四年四月二十五日、「力士碑探訪 その參 - 武藏國高田南藏院の力士碑群」を掲載。
○平成二十三年十一月十日、「能登國以外の力士碑」に常陸山谷右衞門の石像冩眞を掲載。
○平成二十二年十二月二十三日、秀の山與四郎の石碑の冩眞を掲載。出羽海谷右衞門の項に追記。
○平成二十年一月五日、三笠山平治郎の石碑の冩眞を掲載。
○平成十九年十一月十六日、電子飛脚の宛先を訂正。
○平成十九年正月九日、「力士碑探訪 その壹 - 越中砺波と射水の力士碑」、および「力士碑探訪 その貳 - 伊勢國の力士碑」を掲載。
○平成十八年十月四日、誤字訂正。
○平成十七年十二月八日、「能登國以外の力士碑」に越中砺波、射水の力士碑を追加。
○平成十七年九月二十八日、引き紐を一部訂正。
○平成十七年五月十日、「富岡八幡宮の大關碑と横綱碑」に追記。
○平成十七年五月九日、「富岡八幡宮の大關碑と横綱碑」を掲載。
○平成十六年拾一月四日、「力士碑」の網上葉から、「力石」を獨立。
○平成十六年拾月十四日、「唐戸山および羽咋の力士碑」を増補。
○平成十六年拾月六日、「力石探訪 その二」を追加。
○平成十六年九月十日、「羽咋、輪島以外の能登の力士碑」について追記。
○平成十六年二月十六日、輪島の「大本」の碑について更新。
○平成十五年拾一月十七日、力士碑の冩眞に「出羽海谷右衞門」を追加。
○平成十五年拾一月十一日、柳森神社の「力石の説明板」の冩眞を追加。
○平成十五年拾月二十日、「力石探訪」を追加。
○平成十五年拾月十四日、掲載。
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  ○引き紐(リンク)をつけることは御自由です。

著作權者    東川吉嗣(電子飛脚のソフトが立ち上がつたら、宛先から「ひらかな」を消して下さい。)  平成十五年、乃至二十八年
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